「グラスヒュッテ腕時計100周年記念展」、グラスヒュッテの100年にちょっと想いを馳せる
By : KITAMURA(a-ls)先日の8月9日より3日間、グラスヒュッテ・オリジナル主催のエキシビションとして、銀座 ニコラス・G・ハイエック センターで「グラスヒュッテ腕時計100周年記念展」が開催された。
(参照:https://watch-media-online.com/news/11628/ )
是非とも観覧したかったのだけれど、こともあろうに体調を崩してしまい、残念に思っていたところ、この度その展示イベントの動画が公開されましたので、ここでもご紹介。
資料によれば、イベントの趣旨は、
『懐中時計から腕時計用ムーブメントへの本格的な転換が始まってから100周年を迎えたことを記念』するもの。
さらに、
『本記念展では、時計ブランドそのものの歴史ではなく、グラスヒュッテの時計産業が世界大戦や経済危機、東西ドイツ分断、社会体制の変化など幾多の困難を乗り越えながら発展してきた「レジリエンス(適応力)の歴史」に焦点を当てました。』とのことであった。
そして、そのための展示品として、
『ドイツ本国から届いた55点の歴史的タイムピースは、芸術性の高い高級時計だけでなく、女性用時計、軍用時計、量産時計、さらにはクォーツ時計まで、多様な時代と用途を象徴するモデルが一堂に会しました。それぞれの時計は、グラスヒュッテの時計産業が社会や技術の変化に適応しながら歩んできた軌跡を物語っています。』と説明されている。

しかし、100年という区切りを祝うにしては、100年前の具体的な出来事などがあまり語られず、なにかふわっとした括りとなっているのも、第二次大戦の敗戦によって東側占領地にあった数十の時計関連企業が統合されて発足したGUBと、ソ連崩壊後にそのGUBを担うこととなったグラスヒュッテ・オリジナルの立ち位置を考えると何か感慨深い。
良い機会なので、ここに少し、100年前に遡るヒストリーを記してみようと思う。

1845年にA.ランゲ&ゾーネがグラスヒュッテに居を構えて数十年、生活様式が発展し、移動手段も馬車から鉄道へと移り変わろうとする時代になると、世間でも懐中時計が生活必需品とされていく。多くの時計メーカーが乱立する中、そこで差別化を図るには技術力の強化が大切となってくる。ドイツのみならず世界各国の時計業者は、技術力を示すため、あるものは精度を、あるものは小型化を進めていく。
A.ランゲ&ゾーネがキャリバー25という、25mmの小型ムーブを発表するのもこの頃だが、こうした小型ムーブを納めた懐中時計の径は30mm前後なので、貴族のご婦人方の中にはそれに宝飾の鎖をまいてブレスレットとして身につけることが流行する。ブレゲさん辺りはこれを腕時計の嚆矢としているが、なんといっても基は懐中時計のケースなので耐久性・防水性は非常に脆弱なものであった。
20世紀に入ると、時計にもう一つのニーズが生まれる。多発する戦争に対応する軍用ニーズである。作戦参加者全員が同じ時間を目安に行動する必要のある軍務や作戦活動には"時計"が不可欠で、戦闘という劣悪な環境でも壊れない丈夫さが必要となる。さらに、まさにこの時代に誕生した戦闘飛行機の操縦者には、懐から時計を取り出して時間を確認するなどという悠長な時間はなく、腕に巻き付けてチラ見できる(なんなれば太腿に括り付けて操縦計器と同じ視野になる)状況が求められ、ここに本格的にGOの言う「懐中時計から腕時計用ムーブメントへの転換」の時代が始まるのである。
そして今から100年前の1926年、グラスヒュッテにムーブメント会社としてUROFA(ウロファ)、 正式名称「Uhrenrohwerk-Fabrik Glashütte AG(=グラスヒュッテ・ムーブメント製造)」が創業、腕時計を念頭に置いた時計ムーブメントの供給を広く開始するのである。
グラスヒュッテ・オリジナルの言う"100年"は、このUROFA創業を指すと思われるが、同社が当時のドイツ空軍に採用される、フライバック機能を持つクロノグラフ・ムーブメント「Cal.59」搭載時計フリーガークロノグラフ「UROFA59」を製作するのは1941年のことで、A.ランゲ&ゾーネの「キャリバー48」とならぶドイツ軍用時計の代名詞として、終戦までに3万個以上が製造された。

「UROFA59」
このUROFAもドイツ敗戦後の1951年に、GUBの前身であるVEB(グラスヒュッテ時計製造会社)に吸収合併されるので、グラスヒュッテ・オリジナルの歴史の一部を代表しての今回の『100周年記念展』だと思うのだが、ふわりとせざるを得ないのにはもうひとつ理由がある、と思われる。
例のUROFAを率いていたのは弁護士出身のエルンスト・クルツ博士だ。
博士は大戦末期の1945年、ソ連軍の進駐直前に数人のエンジニアとムーブなどの設計図を携え西側へ脱出、ドイツのガンダーケッセに移り、高級ムーブメントと時計の開発を続けた。そして1960年、クルツ博士の引退を機に社名を「チュチマ・ウーレンファブリク」へと変更した。
クルツ博士は、UROFAが製造する最高級仕様のムーブメントに、ラテン語で「安全な」「信頼できる」を意味する tutus に由来する「Tutima(チュチマ)」という品質保証の造語を導入していた。ギリシャ文字の「τ(タウ)」をあしらったこのマークは高品質の証として世間に認知されていたこともあり、西側で創業した社名を「チュチマ」として時計製造を継続し、グラスヒュッテ・ブランドの継承を宣言したのである。

UROFA時代のモデルの「τ(タウ)」をあしらったマーク
昨年の「時計製作開始180年」も、今年の「腕時計100年」も、A.ランゲ&ゾーネ、チュチマといった歴史的な当事者が別の"世界線"でブランドを興しているので、なかなか面映ゆいのが、ま、グラスヒュッテ・ヒストリーらしいというか、個人的にはこのふわっと感も嫌いでなかったりするので、良しとしよう。
そして、今回のグラスヒュッテ・オリジナルからの資料は、次のような文章で締めくくられている。
『グラスヒュッテ・オリジナルが受け継いできたものは、時計そのものではありません。精度への飽くなき追求、高度な技術力、時計学校を通じて培われた教育の伝統、そして世代を超えて継承される職人文化です。本記念展では、こうした「人」と「知識」の継承こそが、180年以上にわたりグラスヒュッテの時計製造を支えてきた原動力であることを、Assmann、UNION、UROFA、GUB、そして現在のグラスヒュッテ・オリジナルへと連なる歴史的タイムピースを通じてご体感いただきました。
1994年に「グラスヒュッテ・オリジナル」のブランド名を採用した後も、正式社名GUB(Glashütter Uhrenbetrieb GmbH)として、グラスヒュッテの時計製造技術、人材、ノウハウ、そして文化を受け継ぎながら歩み続けています。』[註※]
その意気やよし!
[註※]ちなみに「グラスヒュッテの時計製造技術、人材、ノウハウ、そして文化を受け継ぎながら」という意味では、グラスヒュッテ時代のUROFAの工房跡は、現在モリッツ・グロスマンの本社工場となっていたりします(笑)
【関連問合せ】
グラスヒュッテ・オリジナル ブティック銀座
東京都中央区銀座7-9-18
ニコラス・G ・ハイエック センター4F
Tel: 03-6254-7266
GlashutteOriginal.Boutique.Ginza@jp.swatchgroup.com
グラスヒュッテ・オリジナル LIMITED SHOP
東京都新宿区新宿3-14-1
伊勢丹新宿店 本館5階 ウォッチ
Tel: 03-6273-1137 (直通)
GlashutteOriginal.Isetanshinjuku@jp.swatchgroup.com
チュチマ
トラストゲインジャパン株式会社 (Trust Gain Japan Co.,Ltd.)
〒169-0075 東京都新宿区高田馬場1-23-14・106
TEL/FAX : 03-6810-9305










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